小林信彦
2008年10月01日
原点への旅
私の読書の原点は、江戸川乱歩である。
小学校の図書室、ちょっと薄暗いあの部屋で
私は蔵書された少年探偵団シリーズを読破した。
その後はホームズシリーズを読んだり、
社会派推理に傾倒したり、
五木寛之氏や村上龍氏に感化されたりしながら、
私は少しずつ、大人になるに従い、
読書人としての歴史を積み重ねていった 笑
しかしながら、江戸川乱歩が私の読書の原点、
であったのにも関わらず、私は乱歩本来の小説、
つまりは少年向けの少年探偵団シリーズではない、
大人向けの推理小説をほとんど読んだことがないのだと、
実は最近、ある本を読んで気づいた 苦笑続きを読む
小学校の図書室、ちょっと薄暗いあの部屋で
私は蔵書された少年探偵団シリーズを読破した。
その後はホームズシリーズを読んだり、
社会派推理に傾倒したり、
五木寛之氏や村上龍氏に感化されたりしながら、
私は少しずつ、大人になるに従い、
読書人としての歴史を積み重ねていった 笑
しかしながら、江戸川乱歩が私の読書の原点、
であったのにも関わらず、私は乱歩本来の小説、
つまりは少年向けの少年探偵団シリーズではない、
大人向けの推理小説をほとんど読んだことがないのだと、
実は最近、ある本を読んで気づいた 苦笑続きを読む
2008年03月22日
故郷は玉手箱の中に
生まれ育った街には、誰しも特別な想いがあると思う。
たとえそれが辺鄙な田舎の町であったとしても、
たとえそれが無味乾燥した都会の街であったとしても、
生まれた場所、は兎も角としても、
青春という多感な季節を過ごした街というのは、
良いに付け悪いに付け、人の心の奥底に、
いつまでも焼き付いているものだと思う。
作家「小林信彦」は、東京は両国の生まれである。
しかし彼が生まれ育った両国は、
今の私達が呼ぶところの両国ではない。
戦前に両国と呼ばれていたのは
今で言うところの東日本橋であり、
今の両国は、当時、東両国と呼ばれていたところである。
歴史と風情に彩られた街の名前が、
何も知らない合理主義だけの役人によって、
なんの根拠もないまま、塗り替えられていった様は、
過去の小林さんの小説に多く描かれてきた。
続きを読む
たとえそれが辺鄙な田舎の町であったとしても、
たとえそれが無味乾燥した都会の街であったとしても、
生まれた場所、は兎も角としても、
青春という多感な季節を過ごした街というのは、
良いに付け悪いに付け、人の心の奥底に、
いつまでも焼き付いているものだと思う。
作家「小林信彦」は、東京は両国の生まれである。
しかし彼が生まれ育った両国は、
今の私達が呼ぶところの両国ではない。
戦前に両国と呼ばれていたのは
今で言うところの東日本橋であり、
今の両国は、当時、東両国と呼ばれていたところである。
歴史と風情に彩られた街の名前が、
何も知らない合理主義だけの役人によって、
なんの根拠もないまま、塗り替えられていった様は、
過去の小林さんの小説に多く描かれてきた。
続きを読む
2007年03月11日
墨東から見た東京
東京と言っても、随分と広うございます。
区分けをしようと思えば
色々とあるかとは思いますが
一番手っ取り早いのは大川の向こう側とこちら側、
という括りになりましょうか。
今の東京人でも、こだわる人達は
隅田川のことを大川と呼び慣わします。
深川に居を構える私の叔父は
この地で商いを司る商家の八代目の当主ですが、
「新宿とか渋谷なんてなあ、東京じゃあねえ。
東京てなあなあ、
深川や本所、両国辺りのことをいうんだよ」
といまだに嘯いて止みません 苦笑
大川の西と東では、平成の御代となった今でも、
風情も文化も随分と違うようです。
小林信彦さんに「イーストサイド・ワルツ」
という著作がございます。
この小説は、墨東から出たことのない女と、
山の手育ちで墨東に
足を踏み入れたことのない男の物語なのですが、
恋愛小説かというと、そういうわけでもありません。
東京を舞台にして東京を描こうとした東京物語
といった括りが、一番この小説には適しているように
私には思えるのですが如何なものでしょうか。
門前仲町界隈を舞台にして、
下町の風情を風にさらわれるように描いております。
江戸の時代に思いを馳せながら
こんな小説を読むのもまた一興ではないでしょうか。
旧「江戸街茶房」より改稿転載続きを読む
区分けをしようと思えば
色々とあるかとは思いますが
一番手っ取り早いのは大川の向こう側とこちら側、
という括りになりましょうか。
今の東京人でも、こだわる人達は
隅田川のことを大川と呼び慣わします。
深川に居を構える私の叔父は
この地で商いを司る商家の八代目の当主ですが、
「新宿とか渋谷なんてなあ、東京じゃあねえ。
東京てなあなあ、
深川や本所、両国辺りのことをいうんだよ」
といまだに嘯いて止みません 苦笑
大川の西と東では、平成の御代となった今でも、
風情も文化も随分と違うようです。
小林信彦さんに「イーストサイド・ワルツ」
という著作がございます。
この小説は、墨東から出たことのない女と、
山の手育ちで墨東に
足を踏み入れたことのない男の物語なのですが、
恋愛小説かというと、そういうわけでもありません。
東京を舞台にして東京を描こうとした東京物語
といった括りが、一番この小説には適しているように
私には思えるのですが如何なものでしょうか。
門前仲町界隈を舞台にして、
下町の風情を風にさらわれるように描いております。
江戸の時代に思いを馳せながら
こんな小説を読むのもまた一興ではないでしょうか。
旧「江戸街茶房」より改稿転載続きを読む
2006年05月11日
時代の熱を伝えたい
音楽に対する物心が付いた時、
ビートルズはすでに解散していた。
だから僕はリアルタイムでのビートルズを知らない。
そんな僕がビートルズに出会ったのは中学生の時だ。
どういうわけか知らないが、その当時、
突如としてビートルズのリバイバルブームが到来していたのだ。
シェアスタジアムでのライブ盤や、
バラードばかりをあつめたベスト盤が新たに発売されたり、
今思えば、それは仕組まれたブームだったのかもしれないが、
それでも僕達アフタービートルズ世代にとって、
それはビートルズを教えてくれた、貴重なムーブメントだったのである。
ビートルズが来日したのは1966年、
その当時の世相と熱狂と混乱を描いた小説がある。
そう、それは小林信彦さんのタイムスリップ小説
「イエスタデイ・ワンス・モア・PART2」である。続きを読む
ビートルズはすでに解散していた。
だから僕はリアルタイムでのビートルズを知らない。
そんな僕がビートルズに出会ったのは中学生の時だ。
どういうわけか知らないが、その当時、
突如としてビートルズのリバイバルブームが到来していたのだ。
シェアスタジアムでのライブ盤や、
バラードばかりをあつめたベスト盤が新たに発売されたり、
今思えば、それは仕組まれたブームだったのかもしれないが、
それでも僕達アフタービートルズ世代にとって、
それはビートルズを教えてくれた、貴重なムーブメントだったのである。
ビートルズが来日したのは1966年、
その当時の世相と熱狂と混乱を描いた小説がある。
そう、それは小林信彦さんのタイムスリップ小説
「イエスタデイ・ワンス・モア・PART2」である。続きを読む
2006年02月01日
川の向こう側
男と女の間には深くて暗い川がある(だったかな?)
と唄ったのは長谷川きよしだった。(古すぎですね 笑)
そう、川という存在は、いつでも何かと何かを隔てている。
東京には隅田川という大河が流れている。
古い東京人が大川と呼び慣わす、東京を代表する川である。
永井荷風に「墨東綺譚」という著作がある。
墨東とは読んで字のごとし、
隅田川の東側という意味である。
今でも東京の古い山の手人は、
隅田川の東側を墨東と呼び、
少しばかり蔑んでいるようにも感じられる。
そして墨東の人々は、
「東京ってなあ、両国や深川界隈のことをいうんだよ」と
隅田川の西側の人々を、田舎者だと嘯いている。
隅田川の東側と西側では、
同じ東京でも随分と風景も風情も違う。
僕にしてみれば、どちらが良いとか悪いとかという話ではない。
ただ単純に、それらは明らかに違う街だ、ということなのだ。続きを読む
と唄ったのは長谷川きよしだった。(古すぎですね 笑)
そう、川という存在は、いつでも何かと何かを隔てている。
東京には隅田川という大河が流れている。
古い東京人が大川と呼び慣わす、東京を代表する川である。
永井荷風に「墨東綺譚」という著作がある。
墨東とは読んで字のごとし、
隅田川の東側という意味である。
今でも東京の古い山の手人は、
隅田川の東側を墨東と呼び、
少しばかり蔑んでいるようにも感じられる。
そして墨東の人々は、
「東京ってなあ、両国や深川界隈のことをいうんだよ」と
隅田川の西側の人々を、田舎者だと嘯いている。
隅田川の東側と西側では、
同じ東京でも随分と風景も風情も違う。
僕にしてみれば、どちらが良いとか悪いとかという話ではない。
ただ単純に、それらは明らかに違う街だ、ということなのだ。続きを読む
2005年09月06日
背中合わせの青春
青春という言葉を口にするのが
どうにも気恥ずかしい時期があった。
今思えばそれは、
青春のまっただ中にいた頃のことだと思う。
恋という単語を口にするのが
妙に照れくさい時期があった。
今思えばそれは、
恋に対する焦燥感に藻掻いていた頃のことだと思う。
青春小説や恋愛小説を白々しいと嘯いて、
社会派推理小説や近未来小説と呼ばれる本ばかり
読んでいた時期がある。
だけど、どんな本を読んだところで、
青春や恋愛と全くかけ離れた小説はなかなか無いものだ。
そう、青春とは人生の中の輝ける時代であり、
恋愛は人生という時間から、
決して切り離すことの出来ないものだからだ。
続きを読む
どうにも気恥ずかしい時期があった。
今思えばそれは、
青春のまっただ中にいた頃のことだと思う。
恋という単語を口にするのが
妙に照れくさい時期があった。
今思えばそれは、
恋に対する焦燥感に藻掻いていた頃のことだと思う。
青春小説や恋愛小説を白々しいと嘯いて、
社会派推理小説や近未来小説と呼ばれる本ばかり
読んでいた時期がある。
だけど、どんな本を読んだところで、
青春や恋愛と全くかけ離れた小説はなかなか無いものだ。
そう、青春とは人生の中の輝ける時代であり、
恋愛は人生という時間から、
決して切り離すことの出来ないものだからだ。
続きを読む
2005年06月18日
時間旅行はいかが
時空を自由に歩き回ることが出来たなら・・・
それは誰もが一度は
心に思い描いたことがあるであろう夢物語だ。
当然のことながら、タイムスリップを題材にした
小説、映画には、古今東西、事欠くことがない。
少年の日にNHKの少年ドラマシリーズで見た
筒井康隆の「時をかける少女」に始まり、
(原田知世で映画化された映画も見てしまった!!)
映画「バック・トゥー・ザ・フューチャー」
にもワクワクと心を躍らせた。
最近では佐藤正午の小説「Y」が印象深い。
そんなタイムスリップ物の一つに、
恋と古き良き東京をノスタルジックに描いた
青春小説の秀作がある。
小林信彦の「イエスタデイ・ワンス・モア」である。続きを読む
それは誰もが一度は
心に思い描いたことがあるであろう夢物語だ。
当然のことながら、タイムスリップを題材にした
小説、映画には、古今東西、事欠くことがない。
少年の日にNHKの少年ドラマシリーズで見た
筒井康隆の「時をかける少女」に始まり、
(原田知世で映画化された映画も見てしまった!!)
映画「バック・トゥー・ザ・フューチャー」
にもワクワクと心を躍らせた。
最近では佐藤正午の小説「Y」が印象深い。
そんなタイムスリップ物の一つに、
恋と古き良き東京をノスタルジックに描いた
青春小説の秀作がある。
小林信彦の「イエスタデイ・ワンス・モア」である。続きを読む

